大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和51年(ワ)7918号 判決

原告

中島敏子

原告

寺島雅子

右両名訴訟代理人

山本晃夫

杉野翔子

被告

細川護貞

被告

松井葵之

被告

松井章信

被告

立花しよう子

右四名訴訟代理人

工藤祐正

外二名

主文

1  被告細川護貞は、原告中島敏子・同寺島雅子に対し、別紙物件目録記載の各不動産について、それぞれ真正なる登記名義の回復を原因とする共有持分各二分の一の持分移転登記手続をせよ。

2  原告中島敏子・同寺島雅子と被告松井葵之、同松井章信、同立花しよう子との間において、別紙物件目録記載の各不動産が、原告中島敏子・同寺島雅子の各持分二分の一の割合による共有であることを確認する。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。

二(原告らの主張する私法上の和解契約の成否と本件土地・建物に関する持分各二分の一の共有持分権取得について)

1  請求原因3(三)ないし(六)の各事実及び右和解手続において、昭和五〇年七月八日、同3(七)(1)ないし(5)(但し(3)のうち本件土地・建物を含め軽井沢全部との部分を除く。)の点を内容とする合意が成立し、訴訟上の和解が成立したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、取寄せの上顕出に係る東京地方裁判所昭和四九年(ワ)第四六七五号土地所有権移転登記抹消登記等請求事件の一件記録、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  護立はもと長野県北佐久郡軽井沢町に、本件土地を含む土地二二筆及び本件建物を所有していたほか、各地に不動産を所有し、美術品などの動産、預金等を所有したものであるが、同人が昭和四五年一一月一八日に死亡したことにより、原告ら及び被告らが右各財産を相続した。

(二)  ところが、右護立の遺産を分割するについて、被告護貞が、原告らに承諾を求めることなく、相続財産中の美術品を訴外永青文庫に寄附してしまつたこと及び原告らは、別紙一及び二のとおり記載された細川護立作成名義の各贈与証書が存在するとして、本件土地を除く前記軽井沢所在の土地中の一九筆(以下「軽井沢所在土地」という。)及び東京都町田市真光寺町所在の土地・建物(以下「町田市所在土地・建物」という。)、同都文京区目白台所在の土地・建物(以下「目白台所在土地・建物」という。)、新潟県中頸城郡妙高高原町大字赤倉所在の土地・建物(以下「赤倉所在土地・建物」という。)についてそれぞれ護立から町田及び赤倉所在土地・建物については昭和四一年三月一八日付け贈与証書により贈与を、また、軽井沢所在土地及び目白台所在土地・建物については昭和四三年一〇月二一日付け贈与証書により死因贈与を受けていた旨主張する一方、被告らは原告らの右主張を否認し、被告護貞は町田市所在土地・建物、赤倉所在土地・建物については被告護貞の取得にかかるもので訴外護立の相続財産に含まれるものではない旨主張するなど原告らと被告らとの間に争いが生じ、相続人間における遺産分割の協議が調わなかつたため、原告らは、昭和四七年一月七日、山本弁護士、杉野弁護士を代理人として遺産分割の調停(東京家庭裁判所昭和四七年(家イ)第三〇号事件)を東京家庭裁判所に対し申し立てた。

(三)  右調停においては、護立の遺産を美術品、不動産、その他のものに分け、美術品についての分割は非常に困難であつたため、まず不動産についての分割協議がなされた。原告らは、護立の相続財産中の不動産として本件土地・建物及び軽井沢所在土地を含め軽井沢に所在の二二筆の土地(以上の土地は一団を成しており、同地上に細川家の別荘があつたことから、「軽井沢の別荘地」と呼ばれていた。)と同地上の建物四棟(以上を総称して、以下「軽井沢の土地・建物」という。)、目白台所在土地・建物、熊本県八代市所在の土地等を主張し、赤倉及び町田市所在土地・建物は前記の贈与により原告らの所有となり相続財産の範囲外である旨主張し、調停案として本件土地・建物を含む右軽井沢の土地・建物全部、町田市所在土地・建物全部、目白台所在土地・建物の二分の一を原告らに分割すること、赤倉所在土地・建物については売却処分の上、相続税の支払いに充てるよう提案したが、一方被告護貞は、原告らの主張する各贈与証書の効力を争い、赤倉及び町田市所在土地・建物は護立の生前に自分が売買等で取得した個有の財産であるとし、調停案として、目白台所在土地・建物は訴外永青文庫への寄附を認めること、町田市所在土地・建物は同被告が取得、軽井沢の土地・建物及び赤倉所在土地・建物は原、被告間で配分する旨提案した。このため、ついに調停手続においては解決をみることができず、調停は不調となり、昭和四八年六月一二日には審判手続に移行したものの、右審判手続においても当事者間に歩み寄りがみられず、しかも遺産の範囲を確定することができないため、審判は事実上不能の状態に陥つた。

(四)  そこで原告らは、各贈与証書の効力を訴訟で明確にし、遺産の範囲を確定して、右の状態を打開すべく、昭和四九年六月一〇日、被告らに対し、前記原告らの主張する別紙第一の贈与に基づき、前記本件土地・建物を除く軽井沢所在土地の所有権移転登記等を求める訴え(東京地方裁判所昭和四九年(ワ)第四六七五号事件)を、また同月二五日には、別紙第二の贈与契約に基づき、町田市所在土地・建物、赤倉所在土地・建物について所有権移転登記等を求める訴え(東京地方裁判所昭和四九年(ワ)第五二〇八号事件)をそれぞれ提起し、目白台所在土地・建物についても訴えを提起した。

右各訴訟のうち、訴訟の進行が早かつた東京地方裁判所昭和四九年(ワ)第四六七五号事件については、証人尋問の後、担当裁判官から和解の勧告がなされたが、右各訴訟の原告ら訴訟代理人であつた山本弁護士、杉野弁護士及び被告ら訴訟代理人であつた工藤弁護士はともにこれを了解し、兄・妹間の紛争であることから、右の東京地方裁判所昭和四九年(ワ)第四六五七事件を中心に、係争中の町田、赤倉、目白台所在の土地・建物に付き、全体的な解決を図ることとなつた(同事件につき、担当裁判官より和解勧告がなされた事実は当事者間に争いがない。)。

(五)  右訴訟においては、七ないし八回の和解期日が開かれ、和解期日には主として山本弁護士、工藤弁護士が出席し(原告ら本人及び被告護貞本人が和解の成立した昭和五〇年七月八日の期日に出頭したほかは、原告らはすべて不出頭であり、被告護貞は他に一回出頭したのみである。)、赤倉所在土地・建物については調停段階からこれを処分して相続税に充てようとの代理人間の合意があつたため、結局軽井沢所在土地、町田及び赤倉所在の各土地・建物の三グループの分割が問題とされたが、まず、軽井沢所在土地を分割する方向での和解案について検討することとなつた。

そして右検討の前提として、担当裁判官より当事者に対し、軽井沢所在土地の図面を提出して欲しい旨の要請がなされたが、これに応じて提出された図面(甲第一一号証と同一の記載内容のもの、以下「図面」という。)には、特に本件土地を除外する趣旨を明らかにすることなく、本件土地・建物を内包する軽井沢の土地・建物が大きな一団の土地として表示され(もと護立所有に属しない土地の表示はなかつた)ており、このころから裁判所及び当事者は、右図面を前にして協議をし、右図面に表示された軽井沢の土地(前記別荘地)は、一体として「軽井沢の土地」なる全体的呼称のもとに分割の対象として論議されるようになつた。

そして、軽井沢の土地が地番をもつて特定されあるいは地番をもつて指示されて論議されることは全くなかつた。

なお、右図面上には、もと護立所有の軽井沢の土地・建物がこれを構成する多くの筆数の土地及びその上にある建物の記号により一団として表示され、これには各地番が記入されていた。そして右各地番の記入された土地はその全体が約三万坪の一団塊をなすものと護立所有の土地として、かたまりとなつて存在するところから、周囲の土地との境界こそ判明してはいたものの、右土地内部での位置関係は、管轄地方法務局等の公図等の資料によるも確知することができず、単に一応の位置関係の記載がなされているにすぎなかつたのであつて、本件土地の所在位置も、右図面上において、一応図面中央部付近に二個所別々に存在するものとして地番をもつて表示されてはいたが、これが果して正しい位置の表示であるか否かは不明であつた。そのため本件土地の位置を現地で正確かつ具体的に指摘することは原告らにも被告らにもなし得ずあるいは測量士にすらも不可能のようであり、果してそれが、右図面上に記載された位置にあるものかどうかは原、被告のよく掌握し得ないところであつた。

ところで、原告ら主張の別紙一の贈与証書と題する書面には、本件土地・建物の記載はなされていないが、その理由もまた原、被告の明確には理解しがたいところであつた。しかし、原告らは単純に脱漏したものであつて文書の作成者は本件土地・建物をも含めるとの意思であると主張しており、本件土地が本件建物の敷地となつているというわけでもなかつた。

また、図面に表示された右軽井沢の土地(前記別荘地)は、南北に細長い地形であるが、道路に面している部分は、東辺の中央部分約三分の一程度であり、道路寄りは平らであるが西側は山になつているという地形上の問題から土地分割案の検討は、地番をもつて行うということではなく、右図面の道路に直角に線を引いて一団の土地を分割する方向で検討がなされた。しかし、何分にも道路への間口が狭く奥が広いという形状のため結局山本弁護士、工藤弁護士とも右の方法で図面上の右軽井沢の土地の分割を行うことは困難であるとの結論に達した。この間行われた工藤弁護士と被告護貞との土地分割の打合せにおいても、軽井沢の土地については地番をもつて示した分割案を検討するということはなく、一団の土地について、図上に線を引いて分割案を考えるという方法で打合せが行われた。

なお、右の検討に際しては、本件建物については、図面中では前記のとおり表示されてはいたが、山本弁護士は、調停中の昭和四七年九月五日、被告護貞とともに、軽井沢の土地・建物を見分した際、本件建物は、それが建築以来相当の年数を経過した古い物件で、さ程の財産的価値はなく、同行の被告護貞も取り壊すしかないと言明していたため、本件建物は、取り壊すほかはないと考え、その帰属を和解の席上で特に問題とすることはなかつたし、他の関係者からする本件建物の帰属についてのなんらの提案等もなかつた。

そして原告ら及び被告護貞本人の出頭して開かれた昭和五〇年七月八日の和解期日においては、前記図面を前に更に話合いが続けられたが、軽井沢の土地(前記別荘地)は、原、被告間の分割取得が困難であるとの結論になつたため、図面上の軽井沢の土地全部を原告らに取得させるかわりに原告らはその余の物件につき譲歩し、結局、軽井沢の土地は原告らの所有、町田及び赤倉所在土地・建物並びに目白台所在土地の三分の一は被告護貞の所有とし、被告護貞は原告らに和解金二五〇〇万円を昭和五〇年一〇月末日までに支払う等の内容で原告側の原告ら及び山本弁護士と被告側の被告護貞及び工藤弁護士との間で合意が成立したので、その時点においては軽井沢の土地の中には、今後家庭裁判所において遺産分割の問題として処理される土地はもはやないものと考えられた(右期日に合意が成立したこと、和解内容(但し、本件土地を原告らの所有とする点を除く。)は、当事者間に争いがない。)。

そして、右成立した合意をもととして、右同日和解調書を作成することとなつたが、担当裁判官から和解調書に添附する物件目録を当事者において作成の上提出するよう要請され、結局後日原告ら側から右物件目録を提出することとなり、成立した和解条項の読み上げをすることなく、右同日の和解期日は終了したが、右和解の成立に伴い、町田市所在土地・建物、赤倉所在土地・建物に関する前記訴えは、取り下げられた。

(六)  和解の合意が成立した後山本弁護士は、和解調書に添附すべき物件目録を作成して裁判所へ提出するに当たり、前記東京地方裁判所昭和四九年(ワ)第四六七五号事件の訴状に添附した物件目録を、軽井沢所在の土地についてはそのまま流用しようと考え、一応右物件目録の各地番と図面に表示された軽井沢の土地の各地番とを順次個別に対照してみたところ、右図面中に表示されている本件土地が右の物件目録には記載されていないことに気付いた。

そこで山本弁護士は、直ちに、工藤弁護士に対して、右の事実を連絡し、連絡を受けた工藤弁護士も初めて右事実に気がついたが、和解調書に添附する軽井沢所在の土地についての物件目録は前記訴状添附の物件目録と同一のものを提出して欲しい旨回答した。

右の回答を受けた山本弁護士は、前記合意成立時双方代理人間においては、和解調書を登記原因を証する書面として登記手続を進めるというのではなく、登記手続は、代理人間で紳士的に協力の上、登記手続に必要な書面を任意に作成交付して行うとの諒解がなされていたため、前記軽井沢の土地に内包されこれと一体をなす本件土地についても、和解調書には記載されていないが、問題はなかろうと考え、結局軽井沢所在の土地については、前記訴状添附の物件目録をそのまま裁判所に提出し、工藤弁護士に対し、本件土地を含む軽井沢の土地全部の移転登記手続に必要な、被告側の委任状用等の書類を交付し、同弁護士も右書類中に本件土地の分が含まれていることを知りながら、この点につき特段異議を述べることもなくこれを受領し、そのまま被告らの印を得るため被告護貞に交付した。

ところが、被告護貞は、和解成立後、軽井沢の土地・建物の管理人に対し、今後は原告らにおいて支払うからとして、管理料の支払をやめる旨通告していたが、右書類中の物件目録と和解調書に添附されている物件目録とを照らし合わせ、本件土地が和解調書に添附の物件目録に記載されていないことを見出したため、右和解調書に添附の物件目録に記載されている不動産については登記手続に協力したものの、本件については和解調書に記載がないことを理由として登記手続に協力することを拒絶した。その上、和解成立の席上では、原告らは他の点で譲歩するかわりに軽井沢の土地全部を取得する旨主張していたのに、和解調書には本件土地・建物を原告らが取得する旨の記載がなく、かえつて右調書には原告らのその余の請求を放棄する旨の記載があつたことから、被告護貞は和解調書では原告らが本件土地・建物を取得しないこととなつたものとし、原告らの本訴提起直前の昭和五一年八月三一日に本件建物の、またその直後の同年一〇月七日に本件土地の各被告護貞自身への所有権取得登記を経由した。

他方和解成立後は、軽井沢の土地・建物全体について、被告らが管理費の支払をやめたので、これにかわつて、原告らが、管理人である訴外石井松枝に対し、被告護貞から引き継ぎを受けた月額三万五〇〇〇円の管理費を支払い、また、昭和五一年には、被告護貞の長男細川護煕が、工藤弁護士の助言もあつて、本件建物を使用するに当たつて、原告らの了を求めてきたことがあつた。

以上の事実が認められ〈る。〉

2(一)  以上認定の各事実に基づき、まず本件土地について考える。

右和解の成立した和解期日における和解の席上、原告ら及び山本弁護士と被告護貞及び工藤弁護士との間において、本件土地を除外することなくとも護立所有に係る軽井沢所在の土地の一団を全体として和解の対象としていたことは前認定に係るそれまでの経緯からみて明らかであるとともに、同事件の関係者には、漠然とながら、前記東京地方裁判所昭和四九年(ワ)第四六七五号事件の訴状添附の物件目録の軽井沢の土地に関する表示をもつて、右のもと護立所有に係る軽井沢所在の土地全体をもれなく網羅的に表示しているものと認識されていたことが窺われる一方、原告において町田及び赤倉所在の土地・建物並びに目白台所在土地の取得に関して前認定のとおり被告らに譲歩し、これに対して被告らは軽井沢の土地の取得に関して前認定のとおり原告らに譲歩したものと見られるのであつて、右の和解においては、双方がそれ相応の譲歩をしたことも明白であり、この点は、被告護貞本人もその供述においてこれを肯認していることをも併せ考えると、本件土地については、右の訴訟上の和解の成立に際し、これと同時に、原告らの各二分の一の共有持分による所有権を確認するとの内容の、私法上の和解(和解調書に記載されなかつた以上、これを訴訟上の和解ということはできない。)が併せ成立したものというべきである。

もつとも、工藤弁護士において、軽井沢所在の土地についての和解調書添附の物件目録は訴状添附の物件目録記載の土地に限定して欲しい旨の申し入れが山本弁護士に対しなされたことは前認定のとおりであつて、右の事実から推すと、工藤弁護士が前記のような訴状添附物件目録と図面の記載との齟齬につき十分明確な認識を有していたとすれば、和解案検討の際、本件土地・建物については、これを和解の対象から除外すべきことを、同弁護士において主張した可能性も全くないといいきれない。しかし、前認定の和解成立までにおける経緯からして、工藤弁護士が、和解の席上に提出されている前記の図面に表示されている軽井沢所在の土地が全て和解の場での協議の対象となつていることを十分認識の上、和解の席に臨み、被告護貞とともに協議をしつつ交渉を進めていたことは明白であるから、右の齟齬とは、要するに右図面中の土地には訴訟の対象となつていない本件土地も含まれているという事実を十分明確に認識していなかつたというにすぎないのであるが、実務の上では、訴訟の対象となつているいわゆる訴訟物以外の権利又は法律関係を加えて和解が行われることの少なくないことは当裁判所に顕著であり、その場合においても右の加えられた権利又は法律関係については和解調書に記載されることもあれば記載されないこともしばしばあつて、このこともまた当裁判所に顕著である。したがつて、仮に工藤弁護士において右の点の十分明確な認識を持つていなかつたとしても、そのこと自体は、前記の和解を進めるについて、さしたる問題ではなかつたし、必ずしも右和解の成否に影響すべきことでもないのである。

本件においては前認定のとおり、和解の成立した和解期日において和解調書に添附すべき物件目録が作成されなかつたのであるから、右和解における和解調書に記載すべき物件の範囲が、後に訴状添附のそれすなわち訴訟物の範囲に限定されることとなつたとしても、そのこと自体は何ら奇異ではなく、しかも、前認定のとおり、登記手続は代理人間で任意に必要書類を作成交付して行うとの代理人間の諒解がなされており、その後これに基づき、山本弁護士から本件土地を含む登記に必要な書類が工藤弁護士に対し交付された際、同弁護士は、山本弁護士に対し異議をとどめず、これをそのまま被告護貞に交付して山本弁護士の申出を取り次いでいる事実に照らすと、前記の点のゆえに、本件土地について前記私法上の和解が成立しなかつたということもできず、まして、右和解調書中における、その余の請求を放棄する旨の記載が、本件土地・建物につき原告らがこれを取得しないこととなつたとの意味を含むものでないことは多言を要しないところである。

なお、本件土地・建物についても、それが遺産であることが確定されていて、その分割についての争いのみがある場合にその解決をはかるというのであればともかく、そうでない以上は、民事訴訟において遺産であるか否かを確定するために必要な権利の帰属に関する紛争の解決を求めることができることは当然というべきところ、前認定のところ及び本件記録によれば、軽井沢所在の土地として、前記一団の土地・建物の一部を形成する本件土地及び本件建物についても、それが遺産であるか、それとも既に原告らにおいて、その主張の書面により、護立から贈与されたものであるかどうかについて争いがあつたことが窺えるのであるから、本件土地・建物の権利関係についても前記和解における合意によつてその解決をはかることができるものというべきである。

(二) ところで、前認定のとおり、本件建物については、右和解手続上何らその処置に関し明示的な合意がなされていない。しかし、前記1(六)において認定した、被告護貞が本件土地・建物につき所有権取得登記手続を採つた経緯に照らせば、被告護貞は、右和解の席上において本件土地・建物を含め軽井沢の土地・建物全体に付き配分を終つたものと考えていたものと推認できること、前記認定の事実によれば、和解の席上に提出の上検討された図面には、本件建物の記載がなされており、本件土地を含む軽井沢の土地全体が原告らに帰属する旨合意された以上、本件建物を原告らに帰属させない限りは、右建物の敷地利用の権利関係について何らかの合意を必要とすることとなり、右の点に関する合意も同時になされるのが通常であるのにかかわらず、本件全証拠によるも右の合意が成立した事実が認められないこと、前記1(五)に認定の、山本弁護士も、被告護貞も本件建物は、ゆくゆくは取り壊すほかないと考えていたこと等のことから推せば、右和解成立の席における当事者双方の意思としては、右和解成立と併行して、同時に本件建物は、これをその敷地の所有権を取得する者に取得させるべきものとしていたものであつて、本件建物についても、その敷地についてなされたのと同旨の権利帰属に関する黙示的合意をなしたものと認めるのが合理的である。そして前認定のとおり、右の敷地については原告らが各二分の一の割合による共有持分を取得しているのであるから、本件建物についても、原告らが各二分の一の割合による共有持分権を取得したものというべきである。証人工藤祐正の証言及び被告護貞本人の供述中右認定に沿わない部分は、いずれもこれを採用しない。

(三)  次に被告らは、工藤弁護士に本件土地・建物について和解をする権限があつた点を争うのでこの点について判断する。

被告護貞については、同被告が自ら和解期日に出頭して、前記のとおり、本件土地・建物についての私法上の和解を成立させている以上、右代理権の問題を生ずる余地がないから以下においてはその余の被告すなわち被告松井らに関して右の点を検討する。

前にも触れたとおり、訴訟上の和解に附随して訴訟の対象となつていない権利関係について合意をし、あるいは訴訟の対象となつていない権利関係をも訴訟上の和解をなすに際してその対象に加えることは、実務上しばしば行われるところであるが、訴訟代理人は一般に訴訟追行のために必要な実体法上の行為をなす権限を有するものである以上、右実体法上の行為の対象は、必ずしも訴訟の対象となつている権利そのものに限定されず、訴訟の対象とはなつていない権利であつても、訴訟代理権の範囲内の行為であるとして訴訟上の和解をなすに付随しこれを処分し得る場合があるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和三八年二月二一日判決 民集一七巻七号一八二頁参照)。したがつて、被告らから前記各訴訟の訴訟代理人として和解をなす権限を与えられていた工藤弁護士は、調停において配分が問題となつていた軽井沢の土地・建物につき、一部が訴訟の対象となつていたものを再び全体として配分の対象とし、当事者間に譲歩をみることにより、原告らと被告護貞との間において前記の和解が成立したという前認定の経緯及び前掲東京地方裁判所昭和四九年(ワ)第四六七五号土地所有権移転登記抹消登記請求事件の一件記録によれば、同事件の口頭弁論期日にはもとより、和解期日にも被告松井らは一度も出頭していないこと、弁論の全趣旨によれば、和解成立後右和解や本件の紛争に関して、被告松井らが、被告護貞あるいは工藤弁護士に対し特段の意思、希望、異議、苦情等を述べた形跡は全くなく、前認定のとおり、本件土地・建物につき、昭和五一年一〇月七日及び同年八月三一日に、いずれも被告護貞の所有権取得登記が経由されていることが認められ、右認定を左右すべき証拠はないことに照らすと、被告護貞以外の被告らすなわち被告松井らが、同弁護士に対して特にその権限を与えない旨を明示し、あるいはそのように理解することが合理的である等の特段の事情を窺知すべき何らの資料のない本件においては、本件土地・建物を含む軽井沢の土地・建物の権利関係の処理については、被告護貞において諒とするときは、被告松井らにおいてもこれを諒とする状況にあつたもので、工藤弁護士は被告松井らの代理人として、被告護貞と同旨により、原告らとの間に前記の私法上の和解による合意をなす権限を当然有していたものと認むべく、したがつて前認定の合意は、私法上の和解として、原告らと被告松井らとの間においても工藤弁護士を代理人として有効に成立したものであつて、右和解の法律効果は被告松井らにも及ぶものである。

三請求原因4の事実は当事者間に争いがない。

四結論

以上に認定の各事実及び説示したところによれば、原告らの被告らに対する本訴請求はすべて理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(仙田富士夫 清水篤 綿引穣)

別紙一、二〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例